走れば早く着く。

トレイルラン、オリエンテーリング、登山に関するブログ。

トレイルランニングことはじめ(UTMB編)

今週の19日からエントリーになったUTMB。既にエントリーを済ませた人の声がちらほら聞こえてくる。MMAでもUTMB特集が始まったり、トレイルラン界隈ではUTMB2013が既にスタートしている。よく人からは自分が毎年出ているように思われているが、3年前の2009年のCCCにたった1回出だだけでそれ以来エントリーすらしていない。その間に3年連続で出ている人もいるし、自分はもうUTMB通でも何でもない。だいぶUTMBとはご無沙汰な状態だ。この3年間で抽選で外れる人が出るくらい日本人が多くエントリーするようになり、さらに姉妹レースとして日本でUTMFが開催されるなど、3年前とは大きく状況が変化している。しかし、世界には素晴らしい長距離レースが沢山あり、選択肢が増えている中で必ずしもUTMBだけが孤高の存在ではなくなってきたが、やはり1度は完走したい気持ちはとても大きい。

 

[caption id="" align="alignnone" width="500"]2009 CCC 2009年CCCにて[/caption]

  『UTMBとの出会い』

 

自分がUTMBを知ったのは、2008年に鏑木選手がUTMBというフランスのモンブランで開催される100マイルレースで上位に入賞したというニュースからだった。それがきっかけで何気なくYoutubeで”UTMB”というキーワードを検索し、そこで再生された動画に目が釘つけになった。その時はまだトレイルラン1年目。その綺麗な景色に出たいと誰もが思うはずだが、ハセツネを完走したばかりで、海外レースでしかも100マイルなんて身の丈知らずも甚だしい話だ。しかし、ハセツネで作った自作ストックの精度をさらに高めた新モデル構想があったのだが、国内でストックを使って走れる長距離のレースは、当時はおんたけ100k、ハセツネCUP、OXFAMの3レースくらいしかなく、その3大会の為に作っている事に意味を失いかけていた。そんなの時にこのYoutubeの映像には、ストックを持って軽やかに走り抜けていく多くのトレイルランナーの姿が映っていた。

 

「これだ!」

 

レースは日本だけじゃないということがわかり、ストックを作る意味が見いだせた。そしてこのモンブランの壮大な景色の中を自作のストックで自らが走れたらどんなに気持ち良いだろう?経験不足、能力不足なのは承知していたが、気持ちは一気にこのレースへと傾いた。
しかし、その時は全くレースについての情報が無い。調べるとUTMBに出るには当時は5ポイント必要で(現在7ポイント)ハセツネCUPしか走っていない自分は2ポイントしか持っていない。なので、100マイルのUTMBの出場権がその時点で無い事がわかったが、同大会でUTMBコースの約半分を走るCCCというレースが存在し、そのレースには1ポイントでも走れると知って、   「初心者だろうが、ポイントを持っているなら出る資格がある!」  
と図々しくもエントリーボタンを押した。しかし、抽選制なのでまさか当たると思っておらず、外れた優先権で来年出られれば準備期間的にも丁度良いかなと思っていたのだが、蓋を明けたらUTMB,CCCにエントリーした日本人が全員当選という、今では考えられないくらいの倍率の低さでめでたく?エントリー権を得てしまった。

  「流されるままにエントリー」  

この大会に出た事があるランナーは日本にはTNF所属の有名選手くらいで周囲にいない。なので、先ずはblog「めざせツールドモンブラン」でいち早くUTMBに注目してそれを目指していたsuuさんに連絡をとって情報共有していた。全く情報が無いので何気ない一つ一つの情報がとても新鮮だったり、拙い英語メールでUTMB事務局とやりとし合うのも面白かった。そしてsuuさん経由で日本人の市民ランナーで初のUTMB完走者である当時としては希有な存在であった蚊取線香さんと出会い、そこから空港からタクシーの乗り方から現地の宿や美味しいお店の情報まで沢山の情報を得て、CCCのスタートラインに立つことが出来た。詳しいレポートは過去にこちらのblogに書いたのでここでは省略したい。

[caption id="" align="alignnone" width="500"]2009 CCC コル・フェレへ向かうトレイル[/caption]

 

そして、CCCレース後半の長い長いモンテ峠での苦しみを越えてシャモニーの街に降り立った時、

 

「あと、プラス60km走れるか?」

 

自分に訊いてみた。あと30kmは行ける手応えを感じたが、さらにプラス30kmは自信が無かった。ゴールした後は膝の痛みで脚を引きずりながら過ごしていたし、モンブランの山と日本の山は距離では計れない厳しさがある事を半分のコースでも痛感していた。この100マイルレースを走りきるには自分にはまだ足りないものが沢山ある事がわかり、どうせ出るなら1発で完走をキメたい。その足りないものを克服してから出たい。その手ごたえを得られるまでエントリーは止めよう。そう思って翌年のエントリーはしない事を既にCCCゴール時に決めていた。

 

[caption id="" align="alignnone" width="500"]UTMB,CCC 頭は怪我したわけではなく、日の丸buff。当時、カトリーヌさんの存在を知らず、完全スル―。次に行く時はhugしてもらいたい。[/caption]

 

「シャモニーで見たもの」

 

先行してスタートしたCCCが終わり、UTMBのトップ選手達をゴールゲートで待っていた。トップで現れたのはキリアン選手。赤く大きな国旗をはためかせながらウィニングラン。間近でみていたが、まだまだ走れそうな強さを感じた。続いてセバスチャン選手がゴール。そして我らが鏑木選手が3位でのゴールに狂喜し、6位に横山選手、8位に山本選手と、日本人トレイルランナーにとっては誇らしい年だった。上位選手ゴールのフィーバーがおわり、街は暗くなり続々と上位の市民ランナー達がゴールしてくるのだが、間瀬選手がそろそろゴールする時間帯でゲートにスタンバイしていると、遠くからもの凄い前傾姿勢で突進してくる黒い影が見えた。それは人では無い何か獣のようなものが来たのだと本気で思ってしまうほどだった。そしてゴール付近に来ると汗と唾を巻き散らしながら走る老人が飛び込んで来た。故シュバイツァー選手であった。その時は彼が抗がん剤を飲んで走っている事はNHKの「激走!モンブラン」を観るまで全くしらなかったのだが、そういった情報が一切ないのに、他の人とは違う熱量をそのゴールから感じ取ることができた(その時の詳しいレポートはこちら)。   IMGP0314   そういったドラマを目の前で見る事が出来たのはレースの完走以上に大きな収穫だった。自分が実際に体験するレース中のドラマだけではなく、こうしてゼッケンナンバーの数だけの沢山のドラマに出会える。日本から行くのには結構な予算がかかるが、普通に海外旅行するより何倍も面白い体験ができるのだから、とても価値がありお得な旅である。何度もリピートして行く人がいるのはこれを味わってしまった為だ。   [caption id="" align="alignnone" width="500"]2009 CCC 深夜なのに選手の父を待つ子供たち。ドラマはゼッケン×家族や友人の数の分だけある。[/caption]  
『その時は来たか?』
 
今年、国内で2つ目の100マイルレースであるUTMFが開催された。このレースで完走すればUTMBに出てもいいだろうと思って臨んでいたが、残念ながら仕事でDNSとなり、その悔しさからOSJ八ヶ岳スーパートレイル100マイルにエントリーしてしまった。事の顛末はこちらのblogに詳しく書いているが、負傷しながらも100マイルというレースの距離感を存分に味わいなんとか完走する事が出来たので、2009年に掲げた自分に対する宿題は3年経ってようやく達成された。だから、もう「時は来た!」のだが…実はまだエントリー出来ないでいる。今の仕事の進行状況からちょうど8月に大事な〆切が重なる可能性が濃厚で、エントリー最後のページまで進んだのだが、OKボタンをクリックできずブラウザを閉じてしまった。受付期間終了までまだギリギリまで悩むつもりだが、今の仕事を変えない限りエントリーする事は難しいかもしれない。自分のUTMB完走への道のりはまだまだ遠い。
 
というわけで、自己紹介も兼ねた思い出話は今回で終わりです。長々とお付き合いありがとうございました。次回から気軽にリアルタイムな話題を書いていきます。