KOUMI100(ペーサー)
今年はペーサーで。#koumi100 #100miler #pacer
ご無沙汰しております。
MMA blogを卒業して、こちらに引っ越して来ました。
さて、blog再開最初の記事は先週参加したKOUMI100の話。
KOUMI100との付き合いは長く、
- 1年目は通りすがりの応援。
- 2年目はペーサー。
- 3年目は選手。
- そして4年目は再びペーサー。
として、今年もKOUMI100が開催される小海町へ来た。
昨年と町の雰囲気が違って感じだのは、「君の名は。」の新海監督がここ小海町の出身で、町中にポスターが貼られ、君の名はの美術展やお土産屋に君の名は。グッズが並び、今までより自慢できるものが明確となって活気がある感じだった。
そんな小海町で10月に開催されるKOUMI100。
1周32kmを5周するこの100マイルレースは、コース上で仲間とコース上すれ違えるループ部分を持つのが特徴。そして、4周目からペーサー(伴走)をつけて走ることができるシステム。完走に自信が無い。より記録を伸ばしたい。単に一緒に仲間と走りたい。などなど、ペーサーをつける理由は様々だ。
選手が元気ならペーサーは楽なのだが、、、
今回ペーサーについた選手は胃腸をやられて3周目を終えて合流地点にやってきた。これから始まる2周64kmは長い闘いになる事をこの時点で覚悟した。
何も食べられない選手にあれこれすすめるも、選手は何も身体に受け付けず、結局4周目も何も食べずに関門時間ギリギリに到着。そして、急いで準備して5周目に突入。普通なら棄権している状態だった。そして、開始早々に背後にスイーパーが張り付いて来た。
(また、ここを踏みに来た。シューズはナイキのテラカイガー4)
途中コース上ですれ違う仲間達は、我々のスイーパーを従えている状況とペースを考えると、完走は無理だと思っていただろう。
(朝5時くらい。モーニングムーン。)
スイーパーのプレッシャーを感じながら、乳(ニュウ)の登りをスローペースで登って行く。折り返しのニュウに関門3時間前に到着したら間に合うかもしれないと思っていたが、到着したのは3時間を切り残り2時間45分。ゴールできるかどうか?判断に迷う時間だった。
しかし、選手が下りを走れる脚が残っているのが分かっていたので、折り返しのニュウからの下りに賭け、下りはとにかく走った。
(稜線のピョコっと出てる箇所が折り返しのニュウ。今年は天気が良くてゴール地点からもコレが見えて、その遠さと高さに萎えた)
復路の稲子湯エイドへ到着。制限時間まで残り1時間45分。元気でも厳しい時間だったが、ここからの3km以上ある長い長い最後の登り。ここを歩いてしまうとゴールに間に合わない。
「この登り坂を走る地獄と、完走出来なかった時の地獄、どっちを選ぶんだ?」
60kmも何も食べていない選手に、聞こえていたかどうか分からないが、数々の厳しい言葉を浴びせて、長い登りを、走っては歩いてを繰り返した。
しかし、選手はその地獄に耐え、大方の予想を覆し、36時間の制限時間を17分”も”残し見事に完走。
ペーサーの役目完了。
途中、選手から辛い、キツイ、痛いなど泣き言はありながら、1度も「やめたい」「諦める」という言葉は無かった。その、選手の最後まで諦めない気持ちと、今回のこのレースで最も諦めの悪いペーサー(笑)によって完走まで漕ぎ着けられたのだと思う。100マイルはメンタルによるところが改めて大きい事を実感。
ペーサーは選手の完走に貢献しても、記録に名前が残らない。
そして、選手が仮にDNFとなった場合、少なからずペーサーにも責任があったのでは?と自戒の念に悩まされる。
とにかく選手が完走する以外にペーサーは報われないのだ。。だから、選手のために走っているが、自分の為でもあるのだ。
昨年、選手として走り、5回も乳(ニュウ)に行き、もうあの死ぬ思いを味わいたく無いので走る事は無いだろうと思っていたが、ペーサーとしてだが、今年も来てしまった。
さて、自分はいつになったら乳(ニュウ)離れできるのだろう?